四章[四章]僕は森本に意地悪な質問をしてみた。 「森本さんは実際のところ、久江のどんなところに惹かれたのですか」 「僕ですか・・・・・・。そんな風に正面切って聞かれると困りましたねえ・・・・・。 二人で楽しくデートした事もありませんし・・・、あなたのように危なっかしい恋人同士でもなかったし・・・。 強いて言えば初恋の域を出ていませんからねえ・・・・・・・。 大人になってからの久江は遠くからそっと見ているだけの人で・・・。 僕にとって久江という人はいつも寂しげな・・・顔で気にかかる人でしかありませんでした。 そんな人がまさか、男を平気で平手打ちかましたり・・・、いきなりウィスキーをストレートでチョコレートをつまみながら・・・・・、 ボトル半分も空けたなんて・・・、信じろと言われても信じられないですよ。 だから・・・、あなたの話す久江さんは僕にとって別の・・・、久江さんですよ。あなたはどうなんですか」 森本はとぎれとぎれに僕の顔と宙を見ながら言った。 「実は僕の中の久江もあなた同様、もの悲しい目をした久江しか浮かんでこないのです。 あんな憂いを帯びた目をした女が・・・」僕はそこで溜息をついた。 「しかも彼女は非常に小柄でしょ。 その彼女が平手打ちをかますと大抵の男の顔に手形が付くのですよ。 かまされた男はわざとらしくタオルで冷やしていましたよ。 どこからあんな凄い力が出て来るのでしょうね。自分も手が痛いと思いますがねえ」 「彼女に何があったのかですねえ」と言って森本も溜息をついた。 「森本さん、この10年ではなくて、彼女に変化のあった23歳24歳のあたりに謎を解く鍵がありそうですね。 そうしたらわざわざ僕の近くまで来て死んだ理由も判るかも知れない。 彼女は何か言いたかったのに・・・・、きっと訴えに来たのに、やっぱり死のうという悪い方に思いなおすくらい、言いにくい何かがあったと 考えるのは、考え過ぎでしょうか。どう思います」 「ええ、それは当たっているかも知れません。死ぬ時の久江と僕の中の久江は重なるのですが、それ迄の久江は僕にとって別人です。 余りに違い過ぎます。 そこら辺に何かありそうですね」 「しかし、変な間柄だと思いませんか、僕達」と言うと森本はけげんな顔付きで「何がですか」と言った。 「いやぁ、初恋の人と元恋人が二人で真夜中にこうして死んだ女の思い出話をしながら酒を酌み交わしているって」 すると森本は困った顔になって「いいじゃないですか。 それとも梶さんは僕とこんな話をするのが迷惑ですか」と言った。 「いや、そういう意味ではありませんよ。もし、彼女が生きていたら、ひょっとして火花の散る相手だったかも知れないのに、 彼女が死んだばかりにこうしてお互いに懐かしい思いで彼女の事を語り合っている、不思議な気持ちです」 「そりゃ、そう言えばそうですが僕も梶さんも結局は・・・、彼女の幸せだった部分を知りたいだけなのではありませんか。 僕達の中の久江はもの悲し気な瞳の久江が最後に出てくるだけ。しかし、そうじゃない、彼女はそれなりに幸せだった、と 思えるところまで行き着かなければ救われないような気持がある。そういう事ではありませんか」 森本は冷静によく観察しているな、と僕は感心した。 「そうでしょうねえ。 僕もあなたも彼女を幸せにしてやれなかった、その悔いの気持ちがこんな話をさせるのでしょう」 「他に彼女と拘わった男はいなかったのでしょうか。いや、仮にいたとしても幸せにしてやってくれなかったから、彼女はここまで来て 死んだのかもしれない」 森本はそう言って大きく溜息をついた。 僕もそうかも知れないと思った。 その結論に至るのにそれから余り時間がかからなかった。 ふと窓際が明るくなったのでカーテンの隙間から外を眺めて見ると空が白々としていた。 「森本さん、少し眠りませんか、体にこたえますよ」そう言って僕はありったけの毛布を出して勧めた。 僕も毛布にくるまって眠ってしまった。 目が覚めると昼前であった。 体がけだるくて、すぐ動く気にならず、しばらくジッとしていたが、ふと目を開けて見ると森本はすでに起きていてビールを飲んでいた。 その背中が小さく見えた。 中年というより、まだ青年の雰囲気さえ漂っているその背中は何かを拒絶さえしているように僕には見えた。 この男は今、何を考えているのだろう、久江の事を思っているのか、それとも今迄の自分の生き方を振り返っているのか、 又は仕事の事を考えているのか、いや、ここまで来て仕事の事ではあるまい。 あるいは僕と出逢ってしまった事に対して嫌悪を感じているのか。 僕の家まで来てしまった事を後悔しているのか。 こんな所まで来て自分の知らない久江の部分を聞かせられたら僕だったら早々に帰ってしまったかも知れない。 森本はそれほど久江に事の外、思いが深かったのか、それともそんなに想いはなかったのか。いずれにしろ根は優しい男なのだろうと思った。 だから久江は何かあると彼に泣き顔を見せたのだろう。 僕の前ではただの一度も涙は見せなかった。 電話の向こうで泣いているのではないかと思った事はあったが決して人前では涙の見せない女だった。 いつまでも毛布にくるまっている訳にもいかず僕は森本に声をかけた。 「もう起きておられたのですか」 「ああ、目を覚まされましたか」 僕が「買い物がてら出掛けて山でも案内しましょうか」と言うと「外は小雨が降っていますよ」と森本は返事した。 「峠まで行くと小雨の山の景色もいいものですよ。 遠くの山々が重なって、まるで墨絵のようです」と言うと「この雨ではちょっと無理かも知れません」と返事するので 「雨が弱くなる事もありますよ」と言って僕はけだるい体を持ち上げておもむろに起き上がった。 身支度をして、森本にも洗面道具を出してやった。 「昼飯はどうします」と僕が言うと森本は「どこかでおにぎりでも買って景色の良い所へ連れて行って下さい」と言った。 五章へ ジャンル別一覧
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